2024.4.23

6時起床。30分弱で食事、着替え、弁当の準備などを済ませ、7時10分ごろまでに随筆・俳句・短歌を2ページずつ読み、20分くらいストレッチ。ゴミ出しなどして7時45分出発。このルーティンになってまだ日が浅いので、眠い。夜の時間の過ごし方がもう少し工夫できそう。

いろんな想定外が起きる今の仕事、今日も大小さまざまな想定外に揺られながらの一日。

昼休憩で先輩から借りた鈴木大拙の「禅の思想」を読む。第一編「禅の思想」、第二編「禅の行」、第三編「禅問答」の三部構成となっている本書、序文を読むと「第二編の禅の行から書き始めた」とあり、じゃあそこから読もうと思ってパラパラめくる。読み始めてすぐ、ムギがダッシュで駆け寄ってきて、さあ撫でてくれたまえ、という距離に座り込んだので左手はムギ、右手は禅の思想という状態で昼休憩を過ごす。

午後は麦の粉砕。

ぼんやりと効率について考える。非効率であることは目に見える結果として現れて、モチベーションに直結するので、効率がいいことよりも重要な基準が自分の中になければ非効率を受け入れることは難しそう。非効率であることをものともしない価値がそこにないといけない。

モスバーガーに寄って、10分だけ仕事の振り返り。日記は20分で書く。毎日続けるためにはダラダラやらないこと。サッカーをやっていた頃のようなたのしさが日々にあり、それが悪い方向に行かないようコントロールできている実感もある。なんというか、過去は確かに存在する、みたいな気持ちになる。

2024.4.22

朝の日課に、サッカーをやっていた頃と同じストレッチを追加した。体質のせいか、どんなに食べても私の体は大きくならなかったので、アスリートとしてやっていくためには無駄のなさが必要だった。それを可能にしてくれた、思い入れ深いトレーニング。アスリートレベルとまではいかなくても、日常生活の動作を円滑にできれば楽しいことも増える。

30分の車通勤で、俳句・川柳・短歌をひとつずつ作る。思いついたら音声入力でメモする。会社について見返すと、とんでもない変換がされている時もあって、それがひらめきの種になったりもする。

朝から麦の蒸留。言葉にすることで初めて捉えられる香りがあるような気がする。個別には分かっていても、それを総体として捉えるには言葉がいる。「分ける」ことが言葉の機能として大事なのはその通りだけど、それと同時に「まとめる」力もあるんだよな、と思うなどする。

最近の個人的課題として、蒸留もろみの脱水がある。水分が多すぎるとすぐに腐ってしまって大変なことになるから、できるだけ水と固体を分けて処理したい。ちょっとずつよくなっている実感もありながら、シンプルな堆肥化だけでは処理できない量のような気もしていて、考えがいのあるテーマ。自分がいつか蒸留所をやることになるとしたら、もろみの処理は必ずついてくる課題。一歩ずつ改善していきたい。私がこぼした麦のもろみを、犬のムギが食べている。熱いからね、気をつけてね。

帰りがけに上総一ノ宮の賃貸物件を見にいく。大原はいい場所だけど、いかんせん電車の本数が少なくて不便。そんなの分かってたことやんか、と言われるとそれまでなんだけど、生活してみないと実感できないこともあるので仕方ない。内見を終えて、街をぶらついてみる。神社のある通りにいい風が吹いている。この辺りに住めたらいいなぁ。

バーミヤンで晩飯。1000円の麻婆豆腐定食。自炊をがんばりすぎないようにしてから、本当に気が楽。飯を作るのは週に2日程度にして、他は買ったり外で食べたりして、調べ物の時間に充てる。時間の使い方を自分で決められる暮らし、最高。

 

2024.4.21

実家で起床。昨日買った本と、いつもの本を持って珈琲綴さんへ。併せて6冊。持ちすぎ。

いつ行っても、間違いなく、存分に本を読ませてもらえる空間はとても得難いもので、身近にそういう場所があることはふつうじゃないと思う。とてもありがたい。

着席して注文をし、スマホ機内モードに設定。ノートとボールペンをテーブルの左端に、いつでも開けるように置いて、荒川洋治「忘れられる過去」を開く。休日に必ず一度は手に取る、ここ最近で一番大事にしている本。「きっといいことがある」というエッセイを今日も読む。何度読んでも嬉しくなる。

続いて「大崎清花詩集」。第一詩集から第三詩集までが収められた集成にはやわらかな重みがあって、それぞれの最初の二編、最後の一編ずつを読み、よい詩集を手に入れた喜びを噛み締める。

続いて「群像 休暇と短篇。」今村夏子が巻頭に短編を寄せ、土門蘭さんのエッセイも載っている。久しぶりに読んだ今村夏子の文章は、今日もそこはかとなく不穏だった。土門さんのエッセイはボクシングを始めた話で、「殴られても目をつぶらない」というタイトルが素晴らしいと思う。他にも、以前から活動を見ていて気になっていた鎌田裕樹さんの連載最終回を読んでいたら、故郷の千葉に戻って有機農家として独立されるとのことで、千葉に面白そうな人が増えて嬉しいなという気持ちになる。野菜、買ってみたい。

二杯目の珈琲を飲み終えて店を出る。大原の自宅の床が寂しい感じがしていて、何か敷物を考えたくて北鎌倉のmorozumiさんへ足を運ぶ。いろいろお話をさせてもらって、suno & Morrisonのホテイアオイで編まれた敷物を一ついただく。いつ来ても嬉しい時間、空間。

自宅へ戻り、遅めの昼食。母が近所で摘んだカキドオシをてんぷらにして出してくれる。父が近所の公園の田んぼの手伝いから帰ってきて、そのまま自宅の庭の手入れに移る。二人に声をかけて家を出る。北鎌倉から上総一ノ宮まで一本。電車って便利だなぁ。

 

2024.4.20

都内の友人宅で起床。昨晩は三人で一時頃までシーシャバーで飲み、友人宅になだれ込んで私は就寝。他の二人は五時頃まで話し込んでいたと後から聞く。

起きる気配のない二人を残し、近くのセガフレードに入る。エスプレッソとベーコンチーズサンドで朝食。荒川洋治の「真珠」を開く。何度も通して読んできたけれど、音と空気を眺めているばかりだった。今回は気が向いたので知らない言葉を調べながら読むことにする。アントンはチェーホフのこと。知らない地名にはチェーホフの生家があるとのこと。連想が鮮やかになり、詩想と呼びたくなる何かが広がる。

 

数編を読んで置き、神谷美恵子「存在の重み」を開く。なぐさめるということについて、「気持ちがぎっしり詰まった沈黙」ということばが使われる。

 

友人宅へ戻り、共に北鎌倉へ。

実家に戻ってコーヒー、お菓子。歯医者で虫歯を削る。麻酔なしで削ってもらうと、痛みの少し手前のヒヤッとする感じがして面白い。

 

鎌倉駅前、たらば書房へ。短歌研究、短編特集の群像、大崎清夏詩集を購入。

二十歳の頃から通っている現代陶芸作家のうつわを集めたお店へ向かう。その頃から仲良くしてくれている方とおしゃべり。互いの旅行予定を聞いてワクワク。話を聞くだけで自分のことのように嬉しい。

2024.4.19

庭仕事の一日。

ここのところ外仕事のできる日に限って雨が降り、柑橘の剪定で出た枝を燃やすタイミングがなくって困っていたけれど、今日はよく晴れて絶好の燃し日和。昨日の雨で濡れているので土に広げて乾かす。積み上がった枝を持ち上げると、かわいい目をしたヤマカガシのお出まし。大きなあくびをしている。しばらく眺めて作業に戻る。

草刈り。電動草刈機で斜面の草を攫っていく。途中で充電が切れたので、電気が溜まるまでの待ち時間、落ち葉の集積場のアタリを付けにいく。

だいたい720リットルくらいは入る四角い柵を二つ作る。ここには廃材から何からたくさんあるので、組み合わせを考えるのが楽しい。まずは柱を立てるため、1mの円柱を八つ用意。地面に30cm埋めて、70cmの高さの柵を作る。柱をまっすぐ立てるのは植木屋で何度かやったから、思い出しつつやってみる。うん、なんとかなるもんだ。

昼。食後に麦芽の糖化・発酵工程について他の人にも説明してみるが、やっぱりそらではうまくいかない。昨日書いたメモをもとに説明する。

午後、柱を続々と建てる。オレンジピールのもろみの水切りと乾燥。そろそろ充電もできただろうし草刈りを、と思ったら充電中の電池が他で使われていてピンチ。ガソリン式の草刈機を使う。すごい馬力でスイスイ進む。エンジン、すごい。

帰宅。30分で飯を食い、風呂に入り、出発。東京で友人と飯。電車内で今日の振り返りと気になったことの調べ物。調べるのってなんでこんな楽しいんだろう。

2024.4.18

13日(土)

少し前に中華街のポスターで見つけた「再会長江」というドキュメンタリー映画を見に行く日。

と、その前に友人と待ち合わせをして葛飾柴又。

とらやで団子を買おう!という気持ちだけで乗り込むと、そこには小さく遺された小江戸の風景が。ついつい心が踊る。小川には鯉が泳ぎ、売り子さんの元気な声が響く。とらやに入って、ビールとカツ煮、冷奴。本の話、詩の話などして、最小サイズの16個入り草団子を買って帝釈天へ。400円を払って裏の庭園へ入れてもらうと、よく手入れされた庭が鑑賞できる。池を泳ぐ大きな鯉、大きな亀。爽やかな風が抜ける素晴らしい空間。

庭園を出ておみくじを買い、縁石に腰掛ける。神のお告げ曰く、全てうまくいくとのこと。友人、酒さえ控えれば大丈夫、とのこと。団子を食べようとしたが串がないので、手でつまんで食べる。よもぎらしきやわらかな香り。まだ映画まで時間があるので散歩。川沿いをぶらり。東京側ではわんさか子供が遊んでいるのに、千葉側には人っ子一人いない。Google mapを見ると、どうやらゴルフ場になっているらしい。なんてことだ。

迷ったりしつつなんとかバスに乗り、電車に乗り、有楽町の小さな映画館に入ると、友人の元同僚がいて、すごい勢いで友人の肩をバシバシ叩き、「久しぶりねぇ〜!」と言って嬉しそうに笑う。友人も嬉しそう。世話好きそうな、人懐っこい笑顔に送り出され、いざ鑑賞。

10年前にテレビ番組のために中国・長江を撮影した監督が、今の長江をもう一度撮り、前回は辿り着かなかった「長江最初の一滴」をカメラに収めるため、チベットの奥地へと向かうストーリー。風景の壮大さはもちろんのこと、10年を経て再会する、長江流域に住む人々との交流に胸を打たれる。

映画館を出て、チベット料理の鉄鍋が食べたくなるがもちろんそう都合のいいお店はなく、ジンギスカン屋に滑り込む。肉を食べ、酒を飲む。鍋の上に吊り下がる排気筒がまったく煙を吸っていないが、邪魔で持ち上げるとまた下げられる。不思議。

 

14(日)

先週の疲れが出たのか、体調を崩して寝込む。部屋が散らかりすぎていて、体温計を見つけられず、熱があるのかどうなのかわからない。とりあえず水を飲んで寝る。

 

15(月)

会社に休みをもらって病院へ。初めて行く病院で少し不安だったが、院長先生も看護師の方も受付の皆さんも、とてもちょうどいい感じで安心。病院のちょうどよさとは、丁寧すぎず、乱暴すぎない感じのこと。お昼になって、ささっと2階にご飯を食べに行く感じも良かった。ちゃんと仕事。ちゃんと休憩。

 

16(火)

出勤。7割の回復ではあるけれど、薬で頭痛を抑えているのでなんとかなる。とりあえずその日のことをやるので精一杯で、あまり記憶がない。

 

17(水)

庭仕事。一日ドクダミと格闘する。温室に水やり。

帰宅して、自炊を諦める。料理は好きだし楽しいけれど、他のやりたいこととバランスを取っていくことの方が大事。惣菜買ったり手抜きの弁当にすることを自分に許す。気が楽になる。

 

18(木)

ウイスキーの仕込み。インターンに来ているオランダ人のサイモンから、麦芽の糖化・発酵管理について、いろいろ質問を受ける。ブルワリーで経験したことを説明しようとしたが、いかに自分が生半可な理解でやっていたか痛感する。午前中はうまく説明できず、昼食時間に一緒に調べつつ確認していく。穏やかで聡明なサイモン。学ぶ仲間として本当にありがたい。

 

2024.4.12

大原での一人暮らし、一週目の仕事が終わる。お疲れさん、わたし。

初日から、もろみ管理、落ち葉堆肥場の穴掘り、コンポスト中身の移動。二日目は翌日のケータリング準備でドリンクなどの試作手伝い、荷物整理。三日目は赤坂にてケータリング。四日目は蒸留、五日目もまた蒸留、そして製品化のための濾過。

目まぐるしい一週間が終わって、しかし今月はちょこちょこやらなきゃならないことが私生活においても残っていて、強制的に気を休めていく必要がある。今すぐできないことはクヨクヨ悩まないで、工程を区切って着実に終わらせていく。相手のあることとはいえ、勝手にプレッシャーを感じないこと。自分の心の特性がわかってくると生きやすくなる。ほんと、だいぶ生きやすくなってきた。

ここでの新しい生活が始まる。新しい環境、新しい人、空気、土、風。どうにでもやっていける気がする。何に対してもあまり心配しなくなったのは、少しずつ歳を重ねていっていることのご褒美なのかもしれない。