知る日々の日記

日記の再録です

2024.4.6

一昨日、鎌倉と東京を電車で往復する生活に一区切りが付いた。これからしばらくは千葉の大原という土地で暮らすことになる。

三年前、鎌倉から美深に引っ越した時も不安はあった。しかし、それを上回る期待があった。これから住む場所にはどんな人がいるのか、どんな生活があるのか、どんな気候、どんな空間、どんな未知が待ち構えているのか。それを考えるだけで嬉しかった。

今回も同じような期待感を持っているが、北海道での生活より外へ出ていく機会を増やしたいという気持ちがある。「北海道」という土地に頭で憧れて、決めてかかって、雪国だから、文化が違うから、というような頭でっかちの憧れを消すことに時間を使ったなという反省がある。移住に限らず、憧れが目を曇らせることはままある。

その土地に長く根付いている人たちの見方を知るためには、その土地にいることが当たり前にならなければならないし、そうなっても自分の中には別の場所での思い出が消えないから、その土地の「他人」としての見方も消えることはない。そのおかげで土地を内と外から交互に見ることができるのは移住者の特権であると思う。

大原は職場から遠くなくて家賃が安いという理由で住むことにした。なんの前情報もない土地である。どうなるかわからない。でもそれがいいと思う。どうなるかわからないことだけやって生きていきたい。死んだ後がどうなるかもさっぱりわからないのだし、生きている時だってどうなるかわかんなくていいと思う。

「これからどうするの?」という問いはいろんな方面からくる。暖かい人には本当のことを話すけれど、冷たく言ってくる人も中にはいて、そういう人には「金の魚を捕まえたい」と言っている。

「私の心には金色の魚がいて、それが大好きで、それを捕まえるために生きてるんです、それが最高なんです、あなたの心にもいませんか、金色の魚?」と言うと、うまく処理することができないのか、相手が問うことをやめてくれる。「おもしろいね。」とだけ言って別の人のところで話を始める。他人の話を聞く度胸がないなら質問なんかしないほうがいいと思う。質問は自分が変わるためにするのだから、変わりたくないなら質問なんかしないほうがいいと思う。