知る日々の日記

日記の再録です

2024.9.27-28

27(金)

東京仕事。引き継ぎなどもろもろ。

千葉へ移動して飲む。人の生き方いろいろ。変わりゆく生活の中で出会った人たち、みんな健やかにいてほしい。

終電20分前にボトルを一本開けてダッシュ。千鳥足で帰宅。

 

28(土)

ぼやけた頭で喫茶店へ。いつもの席でうとうとしていたら、お客さんとマスターの会話に「閉店」という言葉が出て驚く。よくよく聞いてみると、事情があって明後日で閉店するのだそう。大原に越してきてから、休日にゆっくりできる場所はここだけだった。いろんな人が「やめちゃうんですね」と寂しそうに声をかけて、マスターは明るい静かな声でそれに答える。

「コーヒーある?あったかいの」とおじいさん。ありますよ、とマスターが答えて、窓際の席に運ぶ。帰り際、「足折れちゃったんだよ」とおじいさんが話しかけて、「閉店はいつ?」「明後日です。」「そうかぁ、明後日か…そういやうちの娘がよぉ」とぼんやりした話が続く。直接に「おつかれさま、さみしくなるよ」とは言わないのだけど、ふらっと来てなんでもないことを話せることのうれしさと、それがなくなることのさみしさが、おじいさんの口調から伝わってくる。話の内容はなんでもないことで、それがどうにもさみしくて、小さく悲しくなる。マスターはいつもとかわらない、やわらかい空気でおじいさんの話をきいている。

北海道にいたときも、隣町の小さな喫茶店が休日の居場所で、ぼんやりと過ごすのが大好きだった。しかしそこも半年ほどで店主のおばあさんが急逝して閉店になってしまった。好きな場所、居心地のいい場所がなくなってしまうのはつらいことで、しかもそれが突然のことだとなおのことしんどい。しかしそういうつらいことは人生にいつもくっついてくることで、歳を重ねるごとにそういったことへの対処もできるようになっていく。来月からあの喫茶店はなくなる。さみしいけれど、仕方がない。ぼちぼちやっていくしかない。なにがあろうと、生活は続いていく。続けていく。