金魚が死んでしまわぬように

社員寮のようなところに住んでいる。

夏場、美深に農業手伝いで来る人たちも、この家に泊まる。去年はチリ人が2人、イングランド人が1人、日本人3人、計6人の大所帯だった。

今年は日本人だけの生活だったけど、初対面の人たちと一緒に過ごすのはコツがいるので、ゲストハウスの管理人とかは向いてないなと思う。人と一緒にいることにエネルギーを割くのは、人生の1割くらいでも多すぎる気がする。自分の意思を確とさせておけば、エネルギーを使わなくっても過ごせる人が現れる(これまではそうだった)、そういう場合は一緒にいることにする。

 

小学生の頃、夏祭りで金魚を掬って帰ってきた。水の入ったビニール袋から家の水槽に放そうとして、父に止められた。なんでも、急な水温の変化が金魚にはよくないらしくて、ビニールのまま水槽に浮かべて、温度が同じくらいになったら放してやれ、そんな風に教えられた。

水槽の水もビニールの水も対して変わらないような気がしたんだけど、それぞれに手を突っ込むとビニールの方がほんのりぬるくて、こっちから冷たい方に行くのは、たしかに嫌かもしれないと思った。

 

人と会う時、私の周りを金魚が泳いでいるような、そんな気がすることがある。人と同じ空間で過ごす時、相手の水温とこちらの水温を合わせないと、その金魚は死んでしまって、空間が悲しくなる。その感じが嫌だから水温を合わせようとするんだけど、相手に合わす気のない時は、こっちが頑張らなきゃいけない。そもそもこっちの水温は年中5℃設定だから25℃とか30℃とかの人が来た時はほんとにつらい。自分の心を無理矢理動かして熱エネルギーを放出する。水温を上げる。金魚が死んでしまわないよう、なんとかして水温を上げる。

 

だからみんな、酒とかゲームとか、ああいうもので水温を無理矢理上げるのかもしれない。昔から人が集まるとなぜあんな風にはちゃめちゃに盛り上がるのか不思議だったけど、金魚のためと思えば仕方ない。しかしたまに40℃くらいになってる人たちがいて、水温差はなくてもさすがに金魚はもう死んでいると思う。金魚が死ぬと悲しい。できるだけ金魚が死んでしまわないよう、気を配って生きていたい。