居場所をくれたひとたち

好きなケーキ屋さんのインスタを眺めていて、頻繁に通っていた頃によく食べたレモンチーズパイやらサヴァランやら、その時に素敵な時間をくれた、今はもう別の場所で生きている店員さんの顔、そういったものを眺めるうちに、自分に居場所をくれたひとたちのことは一生忘れられないなと思った。

願ったことが叶わなくて、当然続くと思っていた日常にも突然終わりが来た二十歳の頃。社会のことは何も知らない、役に立つことは何ひとつできない自分を拾ってくれた最初の会社。結局2年弱で辞めてしまったけれど、あの時にあの会社に入れていなかったらどうなっていたんだろう、とたまに思う。違法駐車している黒塗りの車にぶつからないよう出社して、朝から晩まで働いて、いろんなミスを重ねながら、同僚と話して、酒を飲んで、ひとりの家に帰って食事を作り、隣家の立派な庭を肴に酒を飲む。「野崎くん、スポーツと違って(この)仕事には決勝みたいなものはなくて、70%でいいから同じ水準で続けられることが大事だよ」と言ってくれた社長は、いつも110%で走っているように見えた。

気に入らないことがあって会社のドアを強く閉めて、「野崎くん嫌なことあった?」とやさしく聞いてくれた社長に「何もないです!」とぶっきらぼうに返していた自分。今思い出すと恥ずかしくて仕方ないけれど、当時の自分にはそれが精一杯で、社長はそんな自分を呼び出して説教するでもなく、そのまま会社に置いてくれていた。

精神的に落ち着かなくて、ほぼ徹夜で出社した日。まだ配達のルートを覚えきれていなくて、70歳を超えたおじいさんに隣に座ってもらって運転する。行きは道を覚えなきゃいけない緊張感で起きていられたけれど、帰りは安心感でウトウトしながら運転していた。ふっと意識が飛んで目を開けると、助手席側のタイヤが縁石に乗り上げていて、車体は傾き、おじいさんが自分より少し高いところにいた。「お、お、」と言いながらおじいさんは座っている。すぐに車体を道路に戻して、「すみません、寝てました」と言ったら、「そうか、寝てたか、まあ、気をつけて」と言いながら、ポケットからピースを取り出して、ライターに顔を近づけて火をつけ、いつも通りの煙を吐いた。その横顔を見てなんだか安心して、僕は前を向いて、意識が飛ぶ前にしていた、おじいさんが若い頃に聞いていたジャズの話の続きを聞いた。ジャコ・パストリアスがどうの、という話だったような気がする。

そんな会社で働き出してから、休日に通い出したのが冒頭のケーキ屋さんだった。季節の果物がふんだんに使われたやさしいケーキ。ひとくち食べてすぐファンになった。

ケーキをひとつ、ホットコーヒーを一杯頼んで、たまたま古本屋で買ったルドンのエッセイを読んでいたら、厨房 (ーそのケーキ屋さんは店内からすぐのところでケーキを手作りしていて、お客は自分たちが食べるケーキの造り手たちの姿を、その一挙手一投足を見ることができるのだー) から出てきたエプロン姿の店員さんが、「それってオディロン・ルドンですか?」と聞いてくれた。あ、そうです、ご存知ですか、と答えると、ポーラ美術館でオディロン・ルドンの展示がやってますよ、とてもいいようですよ、と教えてくれる。その時に、なんてこのお店は居心地がいいんだろうと思った。これまで誰も、私にルドンの展示があることを伝えてくれる人なんていなかった。そういうことをさらっと言ってくれる人が働いているのだ、この店は。なんて素晴らしい場所なんだろう、そう思った。

仕事場で友人ができた。その会社を辞めたいまでも仲良くしてくれている、かけがえのない友人だけれど、彼には彼の過去があって、それにあまり良くない形で触れてしまった時、まったく口を聞いてくれなくなった時期があった。詳細は措くけれど、私の方から「あなたとの関係はなくしたくないので、前みたいに仲良くしてくれる可能性があるなら、あなたが不愉快になった理由を教えてください」と申し出て、彼はそれを受け入れてくれた。不愉快になった理由も教えてくれたので、その話は二度と振らないことに決めた。この時に彼が仲直りを受け入れてくれたから、人と関係を持つことを諦めないでいられたんだと思う。

 

東京から帰る電車の中で思いつくままにこれまでのことを振り返っていたら、文章にして残したくなった。これまで助けてくれたいろんな人たち、ありがとう。みなさんのおかげで、今日もなんとかなってます。