「虚子に対する雑記録」 序・①

私が初めて高浜虚子の言葉に触れたのは、俳句ではなく俳談でした。鎌倉・佐助の古本屋で岩波文庫の「俳談」を見つけ、何気なくパラパラと捲ってみると、「本ものの虚子で推し通す」とか、「自分の主観を働かせすぎる」とか、「どの時代も貴い」「流行」「弟子に導かれる」などの面白そうな目次が並んでいて、しかも序文で次のようなことわり書きがしてあったのでつい買ってしまったのでした。

「他人と座談をしておった場合、また質問にあった場合などに話したことを集めてみたのである。俳談、雑談の集録である。

何故に何という理窟を述べることはさけて、ただ何々であるという断定した意見を述べたというようなものである。善解する人は善解してくれるであろうと思う。」

この「善解する人は善解してくれるであろうと思う」という、力の抜けた、かつ確信を持った姿勢に惹かれるところがありました。中身を読み進めてもその印象に変わるところはなく、この時の小さな感動が今も私の目を虚子に向けさせます。

さて、そういうことでこの雑記録を始めることにしたのですが、体裁としては、毎日新聞社から出た「定本高浜虚子全集」を最初の一巻から読み進めて、気になったところを拾っていく、という風で行きたいと思います。

では早速、一回目の分を書きます。

 

----

 

「風が吹く 佛来給ふ けはいあり」

 

虚子についてWikipediaで調べると、

ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。」(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/高浜虚子 より引用)

とあります。それは全くその通りですが、私がまずぶつかった高浜虚子という俳人は、こういう句を何気なく詠む人でした。「こういう」と言っても「どういう?」と思われるでしょうから、こんな句ですという例をもう一つ挙げてみます。

 

「去年今年貫く棒の如きもの」

 

去年今年と書いて「こぞことし」と読みます。俳句には不思議な読みがたくさんあって、575に収めるために様々な工夫がなされているのですが、それはさておいてこの句です。

前の句もそうですが、よくわからないけど確かにある(ような気がする)ものを詠んでいる。最初これらの句を読んで、単純に(そういうことってあるよね)と思った私ですが、「客観写生を提唱した」と言われてしまうと、何かそこに齟齬があるような気がする。でもそれは、実感としてはよくわかっていることです。佛の気配や、去年と今年を貫く棒のようなものを、客観的に写生することは不可能だけれど、その場の空気を私の(虚子の)全感覚を通して詩にしようとすると、必然的にそうなってしまう。

彼は、信念はあっても、それを定義で縛るようなことはしなかったように思います。言葉はそもそも曖昧なものですが、それにキッチリした定義を与えようとすると言葉が硬直する。言葉で自らの感動に姿を与えることは詩人の目指すところであるように思いますが、姿を与えることと、定義することとは違うもので、やはり虚子はどこまでも詩人であったのだと思います。

 

初回はこんなところで終わりにします。あまりちゃんとしようとすると続かないので、文章上の工夫などについては今回は触れません。ゆっくり進めていきます。

よろしくお願いします。