「海は広いし、深いよ」

山へ行こうと思ったのに、海に来てしまった。ここは熱い海、熱海。


友人と朝の電車に乗り、缶ビールを開けて歓談。しばらくすると「次は終点、熱海、熱海」とのアナウンスが聞こえてくる。あれ?小田原は?


終点に向かう車窓から大海原を眺めていると、近海に浮かぶ小さな島が目に入る。
「あれ、渡れるよ」と友人が言う。
「まじか、行くしかないじゃん」
大涌谷で黒たまごを作る予定は一旦措いて、熱海から島へ行くことにする。気の置けない友人とはこういう人のことを言うんだろうなぁ、と思って嬉しくなる。


フェリーを調べると出航時刻がもう数十分後に迫っていて、タクシーを拾う。無事港につき、無事チケットを手に入れて、無事乗船。餌付けされたカモメたちがフェリーの後を追ってくる。我々の手元には何もないので、写真だけでもと思って近付く。数羽が低空飛行でフェリーに近づき、ここぞという場面で友人がカメラを片手に近づくと、一斉にカモメたちが飛散した。そういう星に生まれついたのかもしれないね、仕方ない。


島に上陸。歩いて20分ほどあれば一周できるとてもコンパクトな島で、到着してから気づいたのだが、この島ではほぼ現金しか使えない模様。財布を覗くとお互いに昼食の予算がほとんどないことがわかり、食堂に入ることは諦めて、友人はおにぎりを、私は6個入りのバターロールとスライスチーズおよびハムを購入。防波堤に座って食べ始めた途端に、友人のしゃけおにぎりはトンビに襲われて海の底へ。肩を落とす友人。トンビの来ない場所へ移動し、バターロールを分け合って食べる。


安くて甘めの泡を飲みながら、海を眺めて話をする。たわいもない話、というのが友人間で行う会話の相場らしいが、彼との会話は総じて興味深く、最近の関心事を彼なりに調査、検証した体験が多く含まれていて、私は相槌を打ちながらこれまでの全ての時間で検証してきたいくつかの原則と体験の標本を引っ張り出して彼に応える。彼はそこから新たに発見を引き出して別の切り口から疑問を掘り起こす…。どうやって飽きればいいんだろう?その日、彼とは12時間行動を共にし、間断なく酒を飲み、話し、笑った。まったく稀有な存在だと思う。


島から街へ戻るフェリーで、座り込んで海を眺めていた。フェリーのスクリューが空気と水を巻き込んで後ろへ吐き出す。船の後ろに薄水色の跡が残る。しばらくすると白い泡が抜け、深い青が戻ってくる。さっきまで眺めていた薄水色の道は周りの青に溶け込んで、船の周り一体が同じ青、つまり海であることに気づく。海はこんなに広いのか。なんとも馬鹿みたいな感想だけれど、本当に心が動くと、これまで何度も口にしてきた言葉がまったく違う響きで感じられるのだ。「海は広いし、深いよ」と友人が呟いた。その通りだな、と私は思った。

 

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