少しずつ、先へ

できる限り自分を軽くしておくことがこれまでの私を助けてくれた。冬服を仕舞って春服に着替えるように、付き合う人を変え、働く場所を変えた。また冬が来たら取り出せるよう、脱いだ服は丁寧に仕舞って、心が動けば少し早くても春服に着替えて、自ら動いて身体を温めることさえすれば、だいたいの変化は乗り切れた。

 

北海道に住んで約一年。ある人に「北海道は内向きでしんどくて私は出てきた」と言われて、そう言いたくなる気持ちもわかるな、というのが率直な感想。ただ、それは「日本人は陰湿」くらい広い感想でもあって、そうじゃない人もいて、そういう人と出会う事もできたし、これからもっと増えていくとも思う。日本人が陰湿なのは湿度と関連つけて語られることが多い気がしていて、それでいくと北海道の内向きさはまずもって生活の厳しさから来るんじゃないかしら。痩せた土と深い雪。夏は涼しいかと言えば全くそんなことはなくて(去年の最高気温は36℃)、生き残ることに体力を使う。厳しい生活で体力が削られるなら、生きやすい生活のパターンを変えずにやっていくことが生き残るための合理的な選択。これは精神のエネルギーについても同じことで、精神的に不安定な人ほど、他人が自らの生活リズムに干渉してくるとストレスが爆発的に増える、なんてことありませんか?(私はそうです)

 

生きるのに厳しい土地、と言ったけれど、そこに移住してくる人もいる。遊びに来るだけじゃなく、生活拠点を移す人。お金がある人は、いいサービスを引っ張ってきて暮らす。だからストレスもなくて、地域の重鎮達も相手が金持ちだと分かれば迂闊に手を出せないから人間関係のストレスも少ない。私は金のないパターンだから、まあちょこちょこストレスはある。いま関わっているプロジェクトが面白いからやれてる。そうじゃなかったらやめてる。働く理由が人から事に変わった。この人となら、と思って働いてたけど、この事のためなら働ける。今はそう思える。

 

こないだ友達とも話したけれど、次に仕事を変えるなら、喫茶店でも本屋でもなんでもいい、自分で物件を借りて、金の巡りを計算して、個人でやることに挑戦したい。いろんな人のもとで働いて、それはもう十二分にやった。次は自分でやってみる。

自分でやる、というとき、それは一人でやるという意味になる。一人でやることは、小回りが効くし、好きなことに特化できる。でも誰かとやることは、大きな面積、大きな金額、そして多くの人と関わる可能性がある。いま関わってることは特にそうで、これは今やらなかったらこの先ぶつからないで終わりそうなくらい、広いところに関わる仕事になりそう。

それならやろう。二度とないチャンス、ここで掴まなきゃしょうがない。思い通りにいかなくても、目指すところへ向けて手は打ち続ける。最善手とはいかなくても二番手、三番手で前に進む。そういうことはこれまでやらなかった。でも今回はやる。やったっていい。私が満足いかなくても、世に出す。そうやって前に進めていく。私じゃなくて、この事を、物を、差し出す。それがどうなるかはわからない。ただ、やる。やり続ける。いま関わっているこれが、いつか、誰かの糧になってくれたら。そう思って耕し続ける。芽が出るかもわからない、小さな種を放り続ける。