2024.4.11

毎日書こうと思って始めた日記だけど、昨日は帰宅時間が0時近くて、どうにもならなかった。残念。でも今日は書いているのでよしとしよう。

昨日はある家具メーカーの新しいオフィスのオープンを記念して、ウェルカムドリンクを振る舞うという仕事があった。樽を使って鏡開きをしたい、というお話で、その中身をビールにできないかという相談を受けた。いろんな方にご連絡をさせてもらい、先方に試飲もしてもらい、栃木にあるうしとらブルワリーさんからビールを購入させてもらった。ドキドキで当日を迎えたが、ビールはしっかりと樽に収まり、鏡開きもうまくいき、ビールも気に入っていただけた(5杯以上のんでくれた方もいた)。イベントの都合上、泡がなくなっても美味しくて、なおかつ常温でサーブされるというとてもハードな環境だったのだけれど、その場所でも如何なく力を発揮する素敵なビールを提供してくださったうしとらブルワリーさんには頭が上がらない。本当にありがとうございました。

大多喜・赤坂間を運転しながら、数日前からミトサヤでインターンとして働いてくれているオランダ人のサイモンと話す。彼の経歴や好きな酒、やりたいこと、彼の故郷であるオランダのこと。オランダと聞いてドン・キホーテ、チューリップ、ロッベンしか思い出せない貧相な知識の私にも、優しくオランダのことを教えてくれる。オランダではリンゴがよく採れるそうで、彼はリンゴの蒸留酒に興味があるとのこと。フルーツブランデーに興味があってミトサヤに来たとのこと。

ここまでは昨日のこと。今日は昨晩が遅かったこともあって少し遅めの出社にさせてもらう。

大多喜に着くと、既にさつまいもの蒸留が始まっていた。もろみの移動や千葉県産小麦のモルティングをしつつ、蒸留器の不具合を治す。退社。

今日はいくつか「がんばったな〜」みたいなことがあったので、自分への褒美としてモスバーガーに寄る。チーズモスとオニポテ、ホットコーヒー。友人が彼の友人にプレゼントを贈りたいそうで、そのための酒を選んで欲しいという相談を受けてネットサーフィン。渡す相手は3人いるとのことで、うまいビールとうまいラム、うまい日本酒をそれぞれ選出する。個人的うまい酒日本代表、発表。通販サイトで色々と見比べながら、国内でこんなに個性豊かな酒が日々新たに作られているなんて、酒飲みにとっては天国みたいな場所だな、日本、と思うなどする。

家に帰って、風呂。何はともあれ風呂である。ゆっくり浸かって、上がって、アサヒ。

米を研いでセット。明日の弁当を考えつつ晩飯を作る。職場でもらった野蒜を洗って、味噌、塩、オリーブ油、胡麻油、色々試して食べてみる。本当は酢味噌がうまいのだけど、酢がないのでしょうがない。うちにある調味料では、味ぽんが美味かった。

土門蘭さんのVoicyを聴きながら、玉ねぎを切り、肉を切り、炒める。言葉に気をつけている人の喋りには独特の緊張感があって、聞いていて安心する。本当のことを話そうとしているんだな、と思うと安心する。逆に、言葉がコロコロ変わる人の話を聞くのは疲れる。それは、こちらがその人の言葉をちゃんと受け取ったとしても、少し経つと全然違う言葉を使って話すようになっていて、あの時聞いたことってなんだったん?と思ってしまうことが多いから。会話が積み重ならなくて、ちゃんと聞こうとすることの徒労感ばかり増える。その点、言葉を大事にしている人はありがたい。言葉を大事にするというのは、言葉で世界を認識しようとする特性から来るものなんだろうとも思う。誰のためでもない、自分のための言葉がある人の安心感。

明日で1週間が終わる。早い。明日は何が起こるだろう。

 

2024.4.9

昨晩は強い風と雨で家が揺れていた。うちは壁の薄い平屋なので、雨が屋根に打ち付ける音の激しさが直接身体に響いてくる。夜中に何度も目覚めて、スマホでラジオをかけ直して眠りにつく。

子どもの頃、落語を聴きながら寝ていた。父親の持っていたCDを借りて、その中から気に入ったものを何度も何度も繰り返し聴いていた。布団に入って目を瞑り、イヤホンから流れてくる軽やかな喋りを聴いていると、古道具屋の間抜けな主人の困った顔や、勘定をごまかす男の嬉しそうな顔、その急ぐような急いでないような足取り、そういう細かな姿までが目に浮かんでくるような気がして、楽しんでそれを眺めているうちに、気がつくと眠りについていた。

それからというもの、人の話し声がある方が寝付けるようになって、実家にいる時も一人暮らしの時も、大概はラジオや何かを流しながら寝るようにしている。集中する必要のない話し声の安心感、というものがある気がする。

 

今日は午前中にもろみの管理。新たなインターンの人が来て、彼はオランダ人。「レカー(おいしい)」というオランダ語を教えてもらう。「大丈夫」も教えてもらったけど、その直後に彼がテキーラの帽子をかぶってきたのでその話に夢中になって忘れてしまった。また明日聞こう。

そのあとは明日のイベント用のドリンク作り。鍋でイチゴのシロップをぐつぐつ、これをブランデーと組み合わせてひとつ。緑茶とハーブ系スピリッツでひとつ。みかんとカカオハスクでひとつ。桜のコンブチャがひとつ。近くに住んでいるソムリエの人も来て色々と試作。ドリンクの作り手の人達は、いろんなイメージを見る間に形にしてくれるので、周りをうろちょろしているだけで楽しい。

荷物を積み込み、一日の仕事が終わり。明日はいよいよ本番。楽しみ。家に食料が何もないのを思い出して、新しくできたスーパーに寄ってみる。無駄に天井が高い気がする。

帰って冷蔵庫を開くと昨日の親子丼の残りがあったので、それで晩飯を済ます。ビールを飲む。少しずつ少しずつ、生活にリズムを作る。

2024.4.8

千葉勤務になり、鎌倉から東京でdoor to door片道2時間かかっていた通勤が片道35分になった。手段も電車から自家用車に。北海道では職場の二軒隣に住んでいたから、ひさびさの電車通勤はかなり応えた。職場のみなさんのご厚意で、世間のピーク時間から少しずらした出勤時間にさせてもらってからはいくらか楽になったが、それでも満員電車の人間臭はつらかった。

 

千葉の仕事に完全移行して初日。醸造周りの日次管理の説明を受け、イベントなどに向けた関係各所への連絡、ビニールハウスの整理、もろみの移動と桜の花摘み。初日だからというのもあるけれど、一日にいろんな仕事があって飽きる暇がない。

 

帰宅して、大原に来て初めての自炊。20歳で初めて一人暮らしをした時に、遠方に住んでいる友人からレシピだけ聞いて、見よう見まねで作った親子丼をここでも作る。味付けは砂糖・醤油・みりん・酒だが、調味料ケースに砂糖とみりんがない。みりんは諦めることにして、近くにあった三ツ矢サイダーを砂糖代わりに少し足す。悪くない出来。

 

生活のすべてを自分のイメージで進められることが一人暮らしの楽しさだと思う。他者と住むことも面白いけれど、それに対する執着心は今のところない。執着心がないからといってやらない理由はない。やりたくなれば、やろうともがく気もする。

少し前に飲みの場で「野崎君は一人で死んでいくんだろうね」と言われたことを覚えている。本当にそうなる可能性はあるな、とも思いつつ、そうでない場合もあるだろうな、とも思う。

 

日記を書き始めて三日。明るく終わるような形には出来ないらしい。別に暗いわけでもないけれど、前向きでもないことばかり書いている。それでいて後ろ向きでもない。今ここにいる、それを起点としたことだけを書いている。

窓の外で蛙が鳴いている。

いいところに引っ越してきたなと思う。

2024.4.7

実家に置いていた荷物を千葉へ運ぶ。ダンボール6箱分の本と、衣類を詰めた大袋が2つ。半年前からせっせと本棚の写真を集めてはイメージを膨らませ、どのサイズでどんな色味で、と空想だけは進んでいたが、木材を揃えるより先に本が来てしまった。

 

私の家にはちょうどよい高さの平面が不足している。「床」という足を接地するための平面はあるが、台所には食材を置いたり調理したりするための平面が足りないし、食器を置くための棚もない。テーブルと対になった椅子のセットと、安楽椅子が一つ。どうにもならない。

 

食材を買ってきて冷蔵庫にしまっていたら、プラスチックの棚に小さな緑のカビが付いているのを見つけた。タオルを洗って拭き取る。しかし、そこだけ取ってもあまり意味がない気がして、途中までしまった食材を全部取り出して、冷蔵庫の内側を全て拭く。

 

カビた棚と格闘して元気がだいぶ持っていかれたが、お酒を飲みつつ花見をする、というイベントがあるので出掛ける。雨上がりの外を歩くと、街中で湿った匂いがする。漁港のそばにあるこの街で、これからもカビと格闘しなければならない未来を暗示するような、肌にまとわりつく湿度と、生暖かい風。乗り込んだ電車は広告用のプラスチック板の向こうに電車の肌が透けて、蛍光灯を光を返している。JR、クレジットカード、四谷学院の広告が、かろうじて車内の平面のいくらかを埋めている。

向かいに座っている中国人らしき親子。その子供がいきなり立ち上がった。こちらを見る。目が合う。ぼーっとした顔をしている。おそらく私も。

子供が座る。私は目を手元に落として、ぼーっとする。

2024.4.6

一昨日、鎌倉と東京を電車で往復する生活に一区切りが付いた。これからしばらくは千葉の大原という土地で暮らすことになる。

三年前、鎌倉から美深に引っ越した時も不安はあった。しかし、それを上回る期待があった。これから住む場所にはどんな人がいるのか、どんな生活があるのか、どんな気候、どんな空間、どんな未知が待ち構えているのか。それを考えるだけで嬉しかった。

今回も同じような期待感を持っているが、北海道での生活より外へ出ていく機会を増やしたいという気持ちがある。「北海道」という土地に頭で憧れて、決めてかかって、雪国だから、文化が違うから、というような頭でっかちの憧れを消すことに時間を使ったなという反省がある。移住に限らず、憧れが目を曇らせることはままある。

その土地に長く根付いている人たちの見方を知るためには、その土地にいることが当たり前にならなければならないし、そうなっても自分の中には別の場所での思い出が消えないから、その土地の「他人」としての見方も消えることはない。そのおかげで土地を内と外から交互に見ることができるのは移住者の特権であると思う。

大原は職場から遠くなくて家賃が安いという理由で住むことにした。なんの前情報もない土地である。どうなるかわからない。でもそれがいいと思う。どうなるかわからないことだけやって生きていきたい。死んだ後がどうなるかもさっぱりわからないのだし、生きている時だってどうなるかわかんなくていいと思う。

「これからどうするの?」という問いはいろんな方面からくる。暖かい人には本当のことを話すけれど、冷たく言ってくる人も中にはいて、そういう人には「金の魚を捕まえたい」と言っている。

「私の心には金色の魚がいて、それが大好きで、それを捕まえるために生きてるんです、それが最高なんです、あなたの心にもいませんか、金色の魚?」と言うと、うまく処理することができないのか、相手が問うことをやめてくれる。「おもしろいね。」とだけ言って別の人のところで話を始める。他人の話を聞く度胸がないなら質問なんかしないほうがいいと思う。質問は自分が変わるためにするのだから、変わりたくないなら質問なんかしないほうがいいと思う。

2024.3.30 Victor Erice 二作品

勧めてもらったVictor Ericeの過去作を観るため、大原から鎌倉へ帰る途中、少し足を伸ばして新宿へ。光り輝くルイヴィトンの大きな店と同じ通りの、細長いビルの4.5階の小さな映画館へ入り込む。

 

ミツバチのささやき

アメリカの軍用車のような大きくて不恰好な車が砂埃をあげて村に入ってくる。子供たちが「映画がきた!」と声をあげて群がる。石造りの公民館に機材が持ち込まれ、一人一つの椅子を持って村人が映画を見に集まる。その中の一人の少女を中心として、その姉、そしてその家族を巻き込んだ不思議な物語が展開される。

 

「エル・スール」

風変わりな父親とその娘、そして母親。夜が明ける頃、父を探す母の声で目が覚める。上体を起こして、枕の下に置かれた父の振り子を手にして、一粒の涙が娘の目から溢れる。そこから家族の回想が始まる。

 

立て続けに二作品を観て、人の眼はなぜこれほどに色を見分けるか、という疑問に対する一つの回答、「他人の顔色を見るために人間の眼は発達した」というマーク・チャンギジーの仮説(参考 https://gendai.media/articles/-/70880 )を思い出した。

他人の顔色をよく見る機会は、なかなか、ない。あんまり人をジロジロ見ていると、変な人と思われる。しかし映画ならその心配はない。映画の筋に疑問を抱く少女の顔も、誰にも届かないであろう手紙を書く女性の顔も、娘が自身の断片を知っていたことに驚く男の顔も、じっと眺めることができる。よくよく人の顔を眺められる。それだけでも映画というのはいいものだと思うし、そういう何の変哲もない、それでいて貴重な、うつくしい姿を留めておくことの素晴らしさ(それは人だけでなく、風景の姿も含めて)、それを感じられることだけでもVictor Ericeの映像作品には唯一無二の存在感があるのだと思った。

居場所をくれたひとたち

好きなケーキ屋さんのインスタを眺めていて、頻繁に通っていた頃によく食べたレモンチーズパイやらサヴァランやら、その時に素敵な時間をくれた、今はもう別の場所で生きている店員さんの顔、そういったものを眺めるうちに、自分に居場所をくれたひとたちのことは一生忘れられないなと思った。

願ったことが叶わなくて、当然続くと思っていた日常にも突然終わりが来た二十歳の頃。社会のことは何も知らない、役に立つことは何ひとつできない自分を拾ってくれた最初の会社。結局2年弱で辞めてしまったけれど、あの時にあの会社に入れていなかったらどうなっていたんだろう、とたまに思う。違法駐車している黒塗りの車にぶつからないよう出社して、朝から晩まで働いて、いろんなミスを重ねながら、同僚と話して、酒を飲んで、ひとりの家に帰って食事を作り、隣家の立派な庭を肴に酒を飲む。「野崎くん、スポーツと違って(この)仕事には決勝みたいなものはなくて、70%でいいから同じ水準で続けられることが大事だよ」と言ってくれた社長は、いつも110%で走っているように見えた。

気に入らないことがあって会社のドアを強く閉めて、「野崎くん嫌なことあった?」とやさしく聞いてくれた社長に「何もないです!」とぶっきらぼうに返していた自分。今思い出すと恥ずかしくて仕方ないけれど、当時の自分にはそれが精一杯で、社長はそんな自分を呼び出して説教するでもなく、そのまま会社に置いてくれていた。

精神的に落ち着かなくて、ほぼ徹夜で出社した日。まだ配達のルートを覚えきれていなくて、70歳を超えたおじいさんに隣に座ってもらって運転する。行きは道を覚えなきゃいけない緊張感で起きていられたけれど、帰りは安心感でウトウトしながら運転していた。ふっと意識が飛んで目を開けると、助手席側のタイヤが縁石に乗り上げていて、車体は傾き、おじいさんが自分より少し高いところにいた。「お、お、」と言いながらおじいさんは座っている。すぐに車体を道路に戻して、「すみません、寝てました」と言ったら、「そうか、寝てたか、まあ、気をつけて」と言いながら、ポケットからピースを取り出して、ライターに顔を近づけて火をつけ、いつも通りの煙を吐いた。その横顔を見てなんだか安心して、僕は前を向いて、意識が飛ぶ前にしていた、おじいさんが若い頃に聞いていたジャズの話の続きを聞いた。ジャコ・パストリアスがどうの、という話だったような気がする。

そんな会社で働き出してから、休日に通い出したのが冒頭のケーキ屋さんだった。季節の果物がふんだんに使われたやさしいケーキ。ひとくち食べてすぐファンになった。

ケーキをひとつ、ホットコーヒーを一杯頼んで、たまたま古本屋で買ったルドンのエッセイを読んでいたら、厨房 (ーそのケーキ屋さんは店内からすぐのところでケーキを手作りしていて、お客は自分たちが食べるケーキの造り手たちの姿を、その一挙手一投足を見ることができるのだー) から出てきたエプロン姿の店員さんが、「それってオディロン・ルドンですか?」と聞いてくれた。あ、そうです、ご存知ですか、と答えると、ポーラ美術館でオディロン・ルドンの展示がやってますよ、とてもいいようですよ、と教えてくれる。その時に、なんてこのお店は居心地がいいんだろうと思った。これまで誰も、私にルドンの展示があることを伝えてくれる人なんていなかった。そういうことをさらっと言ってくれる人が働いているのだ、この店は。なんて素晴らしい場所なんだろう、そう思った。

仕事場で友人ができた。その会社を辞めたいまでも仲良くしてくれている、かけがえのない友人だけれど、彼には彼の過去があって、それにあまり良くない形で触れてしまった時、まったく口を聞いてくれなくなった時期があった。詳細は措くけれど、私の方から「あなたとの関係はなくしたくないので、前みたいに仲良くしてくれる可能性があるなら、あなたが不愉快になった理由を教えてください」と申し出て、彼はそれを受け入れてくれた。不愉快になった理由も教えてくれたので、その話は二度と振らないことに決めた。この時に彼が仲直りを受け入れてくれたから、人と関係を持つことを諦めないでいられたんだと思う。

 

東京から帰る電車の中で思いつくままにこれまでのことを振り返っていたら、文章にして残したくなった。これまで助けてくれたいろんな人たち、ありがとう。みなさんのおかげで、今日もなんとかなってます。